「家が取られるかもしれん。」
就職して2年。
22歳の私に姉から来た電話でした。
いつぶりに聞いた声だったでしょうか。
久しぶりの姉の電話に出た内容が
こんな内容でした。
「おい。どーゆーこと?」
私はとっさに聞き直しました。
「家のローンが滞ってて
調停にかけられたらしい。」
「詳しくはよく分からん。」
私はようやく事態が飲み込めました。
そう。私が12歳の夏。
私の父は家を建てました。
そう。あの父ですよ。
元不良で逮捕歴もある父です。
学もない。
金もない父が始めた自営業。
最初は消費者金融の会社でした。
その後恐喝の疑いで
逮捕された事のある父ですよ。
その時の話は
ここにあります。
http://derakasegu.livedoor.biz/archives/1094856.html
当時の父は
ようやく執行猶予期間も無事に終え
バリバリ働いていました。
色々な事業に手を出していましたよ。
・海外への輸出。
・風俗店経営。
・ブランド物の販売
どれも軌道に乗っていたと
言っておりました。
何処までが
本当か分かりませんけど。
で、その時に建てた家です。
当時の額で
1億円近く掛かったそうです。
私もその時は
嬉しく思っていました。
今まで住んでた古い家から
いきなり鉄筋3階建ての
家に変わるわけですから。
そりゃ自慢でしたよ。
「家の親父は凄い!」
単純にこう思っていました。
今まで声も掛けてこなかった
同級生までも
「お前の家すごいな!」
「今後遊びに行かせろよ。」
子供なんて単純ですよね。
そんな感じで声を掛けられるもんです。
まあ、そんな話題も
数ヶ月も持ちませんけど。
そんな私にとっても
自慢の家でした。
しかし、ドンドン不景気になり
家の事業も縮小していく様は私が
高校時代から感じていました。
自営業で外に出掛けているのが
多かった父が家にいる時間が増えたんですから。
明らかに景気が悪いのは
分かっていました。
私が高校3年生の時に
進路を本当に悩んだくらいです。
このまま就職して
家にお金を入れるか。
すごく悩みました。
もう確実に学費は出してもらう事が
出来ない事は明らかだったからです。
そしていつ家を取られるんだろう・・。
こういう漠然とした不安は
ずっとありました。
借金取りの電話は
しょっちゅうあり。
家の電話料金が払えず
電話が使えない時期があったくらいですから。
まだ当時は
携帯電話が今ほど普及していない
ポケベルの時代です。
私は
色々調べ学費が掛からない
学校を調べました。
そして何とか
奨学金で学費が賄える
学校を見つけどうにか看護学校に入学。
とにかく
なるべく家に迷惑が掛からないよう
必死でバイトしながら学生時代を繋ぎとめました。
朝5時起床⇒宅急便の仕分け
日中:学校
夕方〜カラオケボックスでバイト
週末⇒近所のコンビニでバイト
こんな生活でしたね。
通学にどうしても車が必要な場所でしたので
必死に自動車学校代。車の購入金額を稼ぎました。
若いと結構無理がききますね。
卒業までこんなペースの生活。
どうにか卒業をし
無事病院へ就職。
それから2年経ったある日の話です。
私は
「遂にこの日が来たか・・。」
そう思ったというのは
こういう経緯があるからです。
3歳上の姉も
家を離れ私も家を離れていました。
家には父と母の2人。
「私は家を買い戻したいと思う。」
「あんたはどうするの??」
こういう言葉が姉から来ました。
「買い戻せる事なんか出来るのか?」
私は聞き返しました。
「もしかしたら出来るかもしれない。」
こういう返事が帰って来た為
「いいよ。仕方ないよね・・・。」
私は育ってきたあの家。
又何処にも行くところがなくなる両親の事を
思い、買い戻す決意をしました。
買い戻す。
これはどういうことかというと
一度競売に出されたあの家を子供である
私が買い戻すという荒業です。
猶予期間はたったの3ヶ月。
そこで競売に出せるだけのお金を
若干22歳の私が銀行通いです。
最初に4つの銀行に行きました。
今回の事情を担当者は
中々理解する事が出来ず何度も説明しました。
話している時
何かとても恥ずかしかった・・・・。
自分の家の恥部をさらけ出しているようで。
しかも核心部分を話すのは
22歳の私にはとても重いものでした。
散々回ったあげく
出た答え。
「無理です。お貸しすることは出来ません。」
当たり前ですよね。
私が父の借金を肩代わりする形になるわけですし
私も多重債務者の可能性が高いと言われ全く無理でした。
当時の私は
就職時に買った車のローンが100万円くらいあったくらい。
「事情が事情ですので当方では・・・。」
こればかりでした。
で、地方の銀行は全てダメ。
結局私がとった方法は
色々な場所でお金を少しづつ借りる事でした。
姉は他で借りる事が出来
どうにか?家を買い戻す事は出来ました。
買い戻すと決意して
2ヶ月が経過していました。
家が戻った代償で
私は多重債務者です。
結局私が払う額は
800万円くらいでしたかね。
私の当時の給料は
手取りが20万円切るくらい。
そこから
アパート代金、車のローン。
又通信で大学も行ってましたので
その学費。又スクリーングに行く交通費・旅費。
こんなものが
もろもろある状況での
借入金でした。
大学は当時
毎週授業があり岐阜から埼玉まで
通っていました。
本来なら
新幹線で行きたかったのですが
新幹線代が捻出出来ず車で通っていました。
一人で車を運転していった方が
高速代・ガソリン代を含めても
3000円くらい安かったですからね。
必死でしたよ。
17時間の激務(夜勤)の後
ひたすら車で走らせる生活が続きました。
で、この諸々の費用と
借入金を引かれると私の手元は
2万円もなかったです・・・。
つまり給料をもらっても
手元に残るのはこの額です(苦笑
正直きつかった。
家から通えない距離だったので
世帯主は私でありながら住めない。
けど年に1回の
固定資産税は20万円近くで来る。
焦りましたね。
どうしようかと。
22歳にして
働く事への絶望感を持っていました。
「楽しい事なんか何もない。」
そう感じていました。
しかし私はある事を思いついたんです。
「今以上に稼いでやる!」と。
そこで色々な方法を探しました。
税金なしで稼げる方法を。
ロト6をしたり
ナンバーズをしたりしました。
最初は。
たかだか数字の組み合わせだから
もしかしたら稼げるようになる方法があるかもしれない。
そう思いながら
数字4桁で出来る組み合わせを計算して
購入する金額を合わせてどこまで稼げるのか?
そんなことばかり考えていました。
結局どれだけやっても
稼げませんでしたので諦めました。
で、次に手を出したのは
パチンコです(笑
もうダメ人間の終着点みたいですよね。
しかしそれで
黒字生活になれたんですよ。
嘘のような本当の話です。
最初の2ヶ月だけですけどね。
そこで月に10万円以上稼げていました。
けど一回負けが込んでくると
何があっても稼げなくなるんですよね。
負けるというか
当たらない。
そこで
パチンコからスロットへ転身しました。
スロットは
パチンコと違い設定がある。
設定が高ければ
高いほど稼げるわけです。
後はその設定通りの
確率で出玉が出るはず。
その理論の元
私は必死で学びました。
で、その結果
勉強から3ヶ月で月平均20万円程度の
稼ぎを手にするようになりました。
これでようやく
人並みの生活が出来るようになったんですね。
ただきつかった・・・。
負けている時は
負けを少なくする作業。
勝っているときは
勝ちを多くする見切り。
家に帰り
スロットの本を読み漁り
ホールのチェック。
休みの日は
朝6時から店に並び23時まで打つ。
この生活は
働くよりきついです。
けど生活の為
頑張りました。
しかしスロット氷河期となった
このご時世。
もう昔のように
稼げなくなったのが去年の5月。
けど給料だけでは
足りない私。
そこで出会ったのが
アフィリエイトです。
正直どれだけアフィリエイトの作業が多いといっても
毎日スロットをする方が精神的にきついです。
毎回が真剣勝負ですから。
1万円。2万円。3万円。
出るまで打つのが私の流儀でしたから。
最高1日30万円負けた事もありました。
けど打つしかないんですよ。
スロットで勝つためには。
そう考えると
アフィリエイトは楽しいです。
いくらきつくても
そんなリスクはないですし。
そして
稼がなくてはいけない理由があれば
頑張れてしまいます。
そんな壮絶な20代前半から
約8年。
ようやく先月私の借入金も
終了しました。
7年掛けてようやく
終わりです。
これでようやく
前に進むことが出来ます。
私は稼がなくてはいけない
理由がありました。
そして成功する自信もありました。
それは何か?
頑張れば報われると信じていたからです。
諦めたらそこで終わりです。
けど諦めなければ夢を追い続けられます。
アフィリエイトを1年続けてきた結果
私はコンスタントにこの程度を稼げるようにまで
成長出来ましたよ。
このように。
http://derakasegu.livedoor.biz/archives/1102103.html
夢は捨てたら終わりです。
けど・・・。
諦めなければ
いつまででも追うことが出来ます。
今稼げなくても
諦めなければいつかその道が開けます。
頑張りましょう。
私と共に。


